第5回 君子は全てを師とする

天に向かって両手をあげる人形

あらゆる情報がすぐに手に入る時代になった。
スマホ一台あれば、アプリやwebサイトや個人のブログ、SNSなどで、今や知りたいことを即座に
手軽に知ることができる。

子育てについても同じだ。

寝返りっていつからできるようになるものなの?
…寝返り いつから →検索

うちの子、全然食べないんだけど大丈夫かな?
…○ヶ月 小食 原因 →検索

1歳半ってもう意味のある言葉、喋れるの?
…1歳半 発語 どれくらい →検索

ある程度のことは検索すれば答えが見つかる。

コロナ禍で子育てサロンや支援センターなどは利用しづらくなった。
発育相談に問い合わせるほど大ごとでもない。
そんな時に手元のスマホでなんでも解決できるのはありがたい。

でも、何か足りない…安心感?充足感?

そんなモヤモヤを抱えている時に、論語「君子は全てを師とする」に出会い、長島先生の「人か
ら教わることで大きく広がってくる」という言葉を聞いた。

そうか、人から直接聞く言葉じゃないから情報以上のものを得ている感じがしないんだ。

日本がまだ大家族で暮らすことが一般的だった頃は、両親や祖父母や年の離れた兄姉、近所の人
たちが、良くも悪くも世話を焼いてくれて、子育てのノウハウのようなものが自然と身に付いてい
たのだと思う。
「私の若い頃は~」なんて先輩世代に言われると、いい気持ちがしないこともあるし、先輩世代
のようにはいかない社会情勢もあるかもしれないけど、そうやって人から人へ継承されてきた。

それが、この50年ほどで核家族化して子育てが孤立しがちになり、更にこのコロナ禍でますます
(多くの場合は)母親ひとりの肩に負担がのしかかっている状況になっている。

じゃあ、一個人である私が悩んだところで簡単に解決できるものではないのだろうか?
こんな状況下でも、人と人との繋がりを大切にした子育てはできないものだろうか?

調べてみると、このコロナ禍でますますICT化が加速し、オンラインでの交流会や子育て講座など
もどんどん増えてきたようだ。
これなら直接会うことはできなくても、顔を見ながら話したり聞いたりできる。
実際に、オンラインでの子育て関係のイベントにいくつか参加してみたが、人とコミュニケーショ
ンがとれることで孤独感から少しは解放されたように感じた。

ただ、やっぱり何か穴が空いているような感じがするし、根本的な解決になっている気がしな
い。

論語「君子は全てを師とする」を繰り返し聞いているうちに、長島先生の
「孔子は環境にあるもの全てを師とした」
「弟子に啓発されたところも多いのではないかと思う」という言葉に心が留まった。

そうか、私はいろんなところから情報を得たり、オンラインで学んだりしているつもりだったけ
ど、結局スマホないしパソコン内を行き来してただけなんだ。

5歳の娘は朝の支度にすごく時間がかかったり、幼稚園から帰ってきてから玄関でいつまでもゴロ
ゴロしていることが多い。
「7:45までに支度ができたら、テレビ見てもいいよ」とか「手洗いうがいが終わったらおやつだ
よ」とか、楽しいことがこの後に待ってるということを提示してみても、彼女にとってはあまり
効果がない。

「長い針が10になったら~」と時計を見ながらすべき行動を伝える、とか、すべきことを見える
可、とか、前の夜にできる支度は済ませておく、とか、もう色々やってみたけどそれらもダメ。

結果、彼女はまだお手伝いしてあげる必要がある、ということに気がついた。
それに気づいた時は「え、嘘でしょ?だって3歳くらいの時にはできてたじゃん。」と受け入れ
難かった。

でも、3歳の時に比べて活動量は増えているし、日中お友達との関わりも増えて、その中で我慢し
たり悲しいことがあったりと気持ちを整理しなきゃいけないことも増えたのだから、ぼーっとす
る時間が必要なのかもしれない。

言葉が通じてしまうから、言葉の力に頼りすぎてしまったり、ある程度自分のことは自分ででき
るようになってきたから、私は娘自身を過大評価してしまっていた。
そして、娘が言葉以外で表現していた「手伝って欲しい」とか「のんびりしたい」という気持ち
を受け止められなかったんだ。

私が娘に向き合ってみて気づいたことは、検索すれば出てくることかもしれない。
でも、人(我が子)から実体験を通して学んだことは、ただの情報以上のものになっているはず
だ。

自分の身の回りにある様々な物事から学ぶということ、そして、子育てにおいて知りたいことは
子どもが教えてくれるということを忘れずにいようと思う。

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