第41回 恥ずかしいとは何か

恥ずかしがる男の子

多様性が広く叫ばれるようになった昨今ですが、人は「何が正しいのか」とか「これでいいのだろうか」と悩むことは減ったのでしょうか。

私個人としては、歳を重ねるごとに、良い意味で図々しく生きられるようになってきて、若い時よりは「これでいいんだ」と思えることが増えてはきました。
しかし5歳と1歳の子を持つ2児の母としては、我が子に関わることは細々としたことでも悩みは絶えません。

たとえば「集中して物事に取り組んでほしい」と思いつつ、ごはんの時間になっても遊びがやめられない時には「まだなの?」「いい加減にして!」と5歳児に対して大きな声をあげてしまう。
また「のびのびと自分がやりたいことをやってほしい」と思いつつ、公園のすべり台を逆から上ろうとしている時。上で待ってる子がいると、ついつい慌てて1歳の我が子を抱きかかえてしまう。

どうすることが今のこの子にとって一番良いのか、咄嗟に判断できず「夜寝る前のひとり反省会」になることが多々あります。

自分の中に、何か子育ての軸になるものを作らないといけないな、と思っていた時に、「コレだ!」とピンときたものがこの「恥ずかしいとは何か」でした。
長島先生はこの回で「恥ずかしいと思う気持ちに打ち勝とうとすることが、人間としての原動力になる」「その打ち勝とうという気持ちに蓋をしない」とおっしゃっています。

なるほど。
幼稚園ではお弁当の時間にいつまでも一人だけ遊んでいて、一人だけ違う時間に食べていたら恥ずかしいな。でも、自分が「恥ずかしいから、もうお片付けしよう」と思えること(=自己抑制する力)が大事だから、こちらが言い過ぎないようにしよう。

また長島先生は「喧嘩をするにも理由がある。最初はやらせておけばいい。まずくなったら止めればいい」ともおっしゃっています。
これは我が子の保育園や幼稚園でも言われてきたことです。喧嘩もコミュニケーションのひとつ、相手の気持ちを理解するステップ、などと理解してきましたが、「恥ずかしいとは何か」の視点だと、相手ベースではなく自身の内側を元にしているように思います。
そうなると、まだ言葉で意思疎通ができない子どもには、やっぱり大人の介入が必要になってくるな。その時は気持ちを代弁した言葉をかけてみよう。もう少し大きくなったらすべり台を逆から上って喧嘩になっても、しばらく様子を見ていよう。

この「恥ずかしいとは何か」という考え方に添ってみると、迷った時の答え合わせのようなことができて、私にはすとんと腑に落ちて気持ちが楽になりました。

これからも私の「夜寝る前のひとり反省会」は完全にはなくならないでしょう。
しかし「恥ずかしいとは何か」を基準に考え続けることで、自分の中の子育て軸を太くしていきたいと思います。

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