第60回 身内は教えない、他人が教える

子どもを見守る親

我が子が生まれる時には「健康でさえいてくれたら」と願いながらも、それが満たされるとあれもこれもと欲が出てしまう親心。

親として、子どもにはできるだけ良い環境を与えてあげたい。
運動はできた方が何かと良いから、スポーツ系の習い事はさせたいな、とか
我が子は指先が器用だから、絵画やクラフトに向いてるかもしれないぞ、とか。

今は習い事も多種多様だから選び放題。
年中さんの我が子のお友達も、スイミングに学習教室にリトミックに…と皆次々に始めているようだ。

一方で、小学校では3年生から英語が必修科され、親世代にはなかったプログラミングの授業も始まった。
小学生ママから聞くところによると、小5で調べ学習の発表を、パワポやエクセルを使ってプレゼンする子もいるらしい…(何それ、模造紙に手書きで学級新聞、じゃないの⁈)
親世代が生きてきた時代とは全く違う時代に、子どもたちは生きているんだということを実感。

じゃあ一体、親ができることって何?

YouTube[10分で見る論語]の第60回【身内は教えない、他人が教える】にそのヒントがあった。
孔子様は自分の子に「言葉と作法を勉強しなさい」とだけ言ったそう。
弟子が大勢いる大先生が、我が子に教えたことがたったのそれだけ。

それだけでいいの?

長島先生は「保護されることを前提にすること=[過保護]を取り払わなくちゃいけない」と仰っていた。
つまり、「自立」させたいなら「誰も助けてくれない状況に身を置くこと」が必要だということ。
お金を出して「もっと勉強しろ」という状況を作ることは、好奇心の芽を摘むことになるというのだ。

これを聞いて、私の視界はパッと晴れたような気がした。

我が子の未知の才能を、親が開拓しなくてもいいんだ。
我が子の未来を先回りして、親が予防線を張っておく必要はないんだ。

ここでふと思い出した言葉がある。

乳児はしっかり 肌を離すな
幼児は肌を離せ 手を離すな
少年は手を離せ 目を離すな
青年は目を離せ 心を離すな

以前、子育て支援センターかどこかで見て書き留めておいたものだ。

この言葉の、徐々に親が子離れして子どもの自立を見守るイメージと、今回の【身内は教えない、他人が教える】の学びが自然と結びついて自分の中に落ち着いた。

習い事をさせてあげるのも、もちろん素敵なことだと思う。
地域社会の繋がりが希薄になっているこのご時世、子どもが習い事を通して出会う大人から学ぶことは少なくないはずだ。
ただ一番に考えたいのは、子ども自身がそれを求めているかということ。

我が子にできるだけ良い環境を与えてあげたいと思った時に、親が本当にすべきことは、「知らない人に話しかけられてもついていっちゃダメよ」と言わなくても良い社会を作ること、悪いことをした時に「コラーッ!」と叱ってくれる大人がいることなど、地域全体で子どもを育てる環境を作ることなのかもしれない。

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